DELUXE CHRONICLE

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DK2の歴史

解説
「DARK KINGDOM 2(以下DK2)」は定期更新型のネットワークゲームである。その歴史は古く(2004年時点で約8年)、同様の多くのネットネームに影響を与えている。無料でほぼ常時新規登録が可能と言うこともあり、今尚多くの参加者を擁している。

DK「2」というからには、前身となるDKあるいはDK1とでも称されるべきゲーム(以下DK1)が存在する訳だが、DK2の歴史について述べる前にDK1について少し触れておきたい。ただ、残念ながらDK1に関してはほとんど情報が残されていない。現在公開情報として確認できる数少ないものの一つに、原始芋損照のサイト「明春派」においてティウ=マースの発言として伝わっている「DK1は某雑誌の読者参加ゲームにインスパイアされて95年前後に行われた。キャラは多重登録が認められており、作ると2次元の升目上にランダムに配置された。中央(後にマップが拡大され中央ではなくなったが)に回復の泉があり、みなが泉に群がり、マップの端は荒涼としていた。PK戦か、徘徊する強敵サラマンダに出会って殺されるかだった。」という記述がある。

また、ハイム・サーリファ・トゥア・ナーニャの「おねぇちゃんの人斬り注意報♪」においては、潤氏(以下GM)がゲストとして登場した際に「全部人斬り。モンスターいなかったもん」、「DK2もしばらくはそうだったん<負け=死」などと発言している。

取材により得られた情報を付け加えると、元ネタとなったのは1995〜1996年に電撃王という雑誌で連載されていた読者参加型ゲームの「クリス・クロス(*1)」。サラマンダは余りに強過ぎてDK1終了まで倒される事はなかった。死んだら即キャラ削除という厳しい条件ではあったものの、前述の重複登録可能のルールがあったため、更新毎に同名のキャラが何十人と増えるなど倍々でキャラクターが増えていった結果、処理・容量ともに限界となったのかDK1は(少なくとも参加者の目からは)突然の終焉を迎えた。


前置きが長くなってしまったが、本題のDK2の歴史について入手できた情報を元に、開発側の事情なども交えつつ解説していく。

DK2が始まったきっかけは、仲間内で話をしていた際にふと2の話が始まって、そのまま勢いで創られた。DK1が、満足のいく形ではなかったというのもあったらしい。 DK1の跡地にBBSが設置されそこでシステムなどが議論されていたという情報もある。

DK2開発初期のコアメンバーはGM、来夢、ファクト=ムーンスターの3人。但し、GM以外は案や意見を出しているに過ぎず、基本設定、プログラム作成、運営など実質的にはGMが全てを担当していたと言って良いだろう。来夢は世界背景・魔法体系の設定、公式BBSの管理を担当。ファクト=ムーンスターはアストローナの地名とその特徴を考案した。DK2の世界観(アストローナの歴史、地理、都市など)についてはファクト=ムーンスターが運営していたGM公認サイト「ダークキングダム2潤さん補完計画(ぉぃ」に詳しい。

第1期が開始されたのは96年。この頃はGMが後述するDK2Chatに常駐していたため、そこでの意見を元に期中に仕様の変更・追加が頻繁に行われていた。戦士の技、魔法使いの暗黒・禁魔術をはじめ、キャスティングの破滅の扉・破壊光線、僧侶のルーン魔法解禁、索敵などが導入された。反面、大きなバグとして、プロフィールバグ(E-Noが早いキャラのほとんどが「CVは井上喜久子」というな〜にゃのプロフィールで埋め尽くされていたもの)やLv.14のポピラがヴァンパイヤ相手に攻撃力+387のボーナスを稼いだ無敵化バグなどがあった。

任意のパーティを指名して戦う、通称「闘技場」がDK2Chat内で行われていた。その後、チャット内だけの企画ではもったいないということで、GMから戦闘プログラムだけ拝借して一般参加の闘技場が大会として時折行われていた。

戦術面では明確なダラ戦は開発されておらず、経験値稼ぎはオーバーキルが主流だった。

リセットの理由は表向きは天使が倒されたからということになっているが、実際は時空魔法関連の仕様に問題があったためらしい。

当時のネット環境を反映して、関連サイトはさほど多くなかったと推察される。戦士の技について解説したサイトや鍛冶職人を集めたサイト、魔法を研究するサイトなど機能別のサイトがいくつか存在していた模様である。

第1期の主な関連サイト
DK2Chat
たけくが管理人の、DK2公式チャット。通称たけくチャット。当時は常時誰かがいるというとんでもないチャットであった。DK2の話題が交わされることは更新日くらいしかなく、通常はDiablo、UO、AOEなど別のゲームの話題が中心であった。常駐メンバーとしては、たけく、The Man、Zero-R、エミリオ、ひでか、さくや、な〜にゃ、アスラ=ハーン、ドモン、破烈、アスカ、源治、ティウ、レイン、梨沙など。
おねぇちゃんの人斬り注意報
元々、たけくがチャットのおまけとしてニュース記事を書いていたが、 3回くらい書いて飽きた後、ニュース内の人斬り記事だけをな〜にゃが引き継いだもの。
戦士の修練場
戦士の技についての情報を集めたすえぞーのサイト(後に落ち武者の里に改称)。ボス戦やクラスに関する情報もあった。
エルヘブン魔導協会
初代会長はRoi。合成やルーン魔法の探求を行っていたが、Roiが離れた隙に内紛が勃発。自然消滅した。
鍛冶職人組合
レグアムが管理。DK2最古で当時最大だった鍛冶職人団体。当時たまに付けてる人が要る程度だった商標を一般に広め定着させた。現在の鍛冶計算式の原型が作られたのもココ。高Lv鍛冶の半分近くが加入していた。
Neo Dark Kingdom 2 Ranking
ボイドが管理していたランキング情報の先駆け的サイト。
カジの鍛冶屋さん
アストローナ大陸でもっとも長い歴史を持つ銀行屋。管理人はカジ。
ガオウトラップ研究所
罠についての情報を扱ったサイト。シャドウ=ソニックが罠ギルドを主宰していた。
DK2ふり〜ま〜けっと
月影が管理。レベル1未満の冒険者への無料提供のコーナーがあった。
闘技場にようこそ
アリーナの原型。
 


第2期が開始されたのは98年5月31日。「DK2 Memories」によると、「新規登録時の初期ステータスを変更、またステータス上昇率を3/4に。宝箱開錠を盗賊だけに。 隊列概念を前列と後列の二種類から3×3の図式に新構築、との仕様が追加・ 調整されました。」といったシステムの変更が行われた。

*1:原作は「クリス・クロス 混沌の魔王」高畑京一郎 メディアワークス(94年)。93年の第1回電撃ゲーム小説大賞の金賞受賞作。97年には電撃文庫で文庫化された。

名も無き管理人の所感という名の蛇足
過去のDK2に関して公式な記録は一切残されていない。従ってDK2の歴史を知るには、当時の参加者の記憶や個人的な記録に頼らざるを得ないのが現状である。当然、曖昧な記述や誤った情報が含まれている可能性はある。しかしながら、この「DELUXE CHRONICLE」 では批判を恐れることなく敢えて公開に踏み切った。明らかな間違いがあれば指摘して頂き、都度修正を加えていきたい。最近DK2に参加した者は当時の雰囲気を感じながら、当時の参加者は各自の思い出とともに過去を振り返ってもらえれば幸いだ。また、この「DK2の歴史」に関しては新しい情報が得られ次第、随時加筆して行く予定であるので、時折確認して見る事をお勧めする。無論、読者からの積極的な情報提供も期待している。
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